U1の飯旅 28歳からの料理人への道

料理人として0からの挑戦、28歳底辺からのスタートでプロの料理人になるまでの記録

瓶を求めて

「三つ星 ジンジャーシロップ」の発案から3年が経とうとしている。

3年間毎週欠かさず作り続けて、いよいよ、自分の知らない人にも届けられる準備が整ってきた。

改良に次ぐ改良、今の答えがベストなわけだけど、完璧ではないので、また試行錯誤し続ける。

シロップがこれで行こう!と思ったら、

瓶をどうするか?

ラベルをどうするか?

送る時の箱はどうするか?

検査もする、価格も決める、

 

考えることがあり過ぎて、常に頭を回転させる。

 

1つの製品を作るだけで、こんなに慌ただしいとは。

僕なんか進む速度が遅過ぎて、話にならないくらいだけど、

普通ならもっとポンポンって進んでいくんだろうな。

 

3年はかかり過ぎた。

でもラベルもできて、印刷が上がった時、すごく実感が湧いた。

これでいくんだなと。

社会に評価される時がきたなと。

ここまできたらもうどうにでもなれという感じ。

安全面、衛生面は徹底して、味で色々言われても、もう受け入れるけど、それが今の僕の答えなんだというスタンス。

 

今日は瓶を見に行った。

合羽橋で買ってたんだけど、瓶を作っている会社さんが御茶ノ水にあって、たまたま友人が見つけてくれて連絡してくれた。

結果から言うと最高の出会いがあった。

最高の瓶が見つかって、価格も相当抑えてもらった。

どこまでも応援してくれるような社長さんで、最高の会社だった。

そうして情熱が伝わる人とこうして出会うんだから面白い。

そこからポンポンとラベルと箱の会社も良いところ紹介しますと、とっても良心的な会社さんを紹介してもらった。

1つ1つ理想の出会いが起きている。

これも本当に縁。

そして、完成した製品の姿がいよいよ具体的に浮かび上がった。

本当に自分の子供が間も無く誕生する。

 

部屋にこれから瓶が2種類250本が届く、ラベルは1000枚届く。

ナイキの創業者フィル・ナイトはオニツカタイガーをアシックスから取り寄せたときも部屋が靴でいっぱいになった。

そこから1足1足売って行って、徐々に大きくなって行った歴史がある。

その時のフィルの気持ちが今の僕の気持ちなんじゃないかなと

必死さと不安、興奮、希望、、

こういう気持ちであふれていたんじゃないかな。

 

ここにきて一気に流れがきている。

我慢の連続だったが、波にのると一気にことが進む。

疲労もマックスだけど、気持ちのいい疲労、このまま突き進むとぶっ倒れるぞと思っても、気持ちでどんどん進んでいくんだろう。

こういう状態は怖いけど、やっぱりやらなきゃいけない時ってあるんだよなと。

 

結局人を大事にすること、自分本位にならないこと。

細かいことを大事にする。

 

「良い時こそ謙虚に、悪い時こそ大胆に」

 

1歩1歩進んで行きます。

来週からいよいよ高知の農家さんに会いに行きます、

3年ぶりで、これから応援してもらえるように、お願いしてきます。

 

 

では、また!