U1の飯旅 28歳からの料理人への道

料理人として0からの挑戦、28歳底辺からのスタートでプロの料理人になるまでの記録

料理人の道は険しい

Ciao ございます(ダビデくん)。

イタリア料理を学び始めて5ヶ月。

この5ヶ月で自分は何ができるようになっただろうか。

とにかく「サービス」が難しい、、

俺には無理だ。

この5ヶ月どれだけ怒られたか、殴られたか。

だからお前はモテないんだと言われつづけ、気遣うことの難しさを痛感。

お客様とシェフ両方の気遣い役がサービスの仕事。

そこにワインの知識、料理の知識、一般教養の要因があって初めてお客さんをサービスすることになる。

今の俺はただの皿運び、皿洗い。

誰でもいいわけですよ。

こんなに難しいことなんて、お客さんが同時入ってきて、ばんばん注文が入るとテンパってしまい、料理を出す場所を間違えたり(相当怒られた)、テーブル番号さへ忘れてしまう。

しまいには赤ワインを無意識に氷水に突っ込んでしまう。

そう無意識に

白ワインだと思ってしまったのか。。

 

ほんとに基礎的なところからスタートした。

皿を3枚持つところから、ワインの開け方、注ぎ方、料理を置く場所、下げるタイミング、、

とにかく基本的なところから

 

これ知らなかったら絶対に店なんて持てないだろう。

ただ、同時にまだ料理の食材すら触っていないのに、これはいつになったら店を持てるんだという現実の壁。

 

いや、恐ろしい世界に恐ろしい年齢で足を突っ込んだもんだと思う今日この頃、

改めて自分の計画性の無さ、無鉄砲さにはあきれ返ってしまう。

 

中途半端に3つのお店を行ったり来たりしていたが、それも今月で終わり。

 

ここからが本題。

やはり社員になってその店に尽くさないと何も学べないことが今ようやくわかりました。

遅すぎて、、

これ実はかなりの人から、かなりの回数言われてきたこと。

自分は痛みを伴わないと学ばないバカな性格で、今やっと気がつくことができました。

ひどい性格。

でもようやく気がつけた。

 

今行っているイタリア料理のお店には迷惑をかけることになるけど、

「お前は向いていない」「2万%無理」「記憶障害のお前ができるほどこの業界は甘くない」ほんとめちゃくちゃ言われた、特にここ最近はひどかった。

環境大事、スタッフが萎縮する環境を作ってしまっている。

料理の技術はあるシェフ、ただ人を活き活きさせることはなかった、ここは非常に残念だった。

俺もへっぽこだからミスをたくさんするが、コンチクショウ魂でなく、火が消させるような気持ち。

 

これは長くは続けるのは無理だった。

次社員として尽くしたいと思えるお店と出会って、それでもできなければ、それはもう本当に自分は無理なんだろうと思える、ただもう1度再チャレンジしたい。

それだけ。

今1つ行きたいお店がある。

このお店と自分はご縁があることしか今は考えてない。

もし縁がなかったら、しばらく時間をかけて今後どうしていくか考える。

 

自分に甘い性格がこの歳でこの状況になっているすべての原因だということはわかっている。

やりたいことと、できることを客観的に判断できない人間は今の自分のようになってしまう。

 

でもまだ諦めたくない。

自分の持っている夢のイメージを形にしたい。

今の苦しい思いを喜びに変えたい。

 

この5ヶ月は負け続けた、打たれ続けた。

U1のライフは0よ。

この1ヶ月が大事になってくる。

 

それでも前に進むしかないんだから人生は残酷。

でも這ってでも進むんだよな。

それしかない。